第1回吃音当事者研究会 報告文『吃音を制御することについて』
参加者は3名でしたが、参加者の方がとても積極的に発言をして下さり、今まで自分がファシリテーターを行った当事者研究会の中で、一番盛り上がり、面白い会になりました。参加者の皆さん、あらためて、ありがとうございました。
次回の活動は、年明け2月頃を予定しております。日程が決まり次第、活動ブログなどでご報告させていただきます。よろしくお願いいたします。みなさん、よいお年を。
いんこです。
12月26日(土)に行われました吃音当事者研究会の報告文を掲載いたします。
(吃音当事者研究会・活動報告)
文・いんこ
12月26日(土)、東大本郷キャンパス学生支援センターディスカッションルーム2にて、吃音当事者研究会を開催したしました。今回は東大生、慶応生、産業医科大生の総勢3名の方が参加してくださいました。
今回も、東大誰でも当事者研究会代表のべとりんさんから使用許可をいただいたレジュメを参考に会を運営しました。べとりんさん、ありがとうございました。
吃音を制御すること
今回は、「吃音を制御すること」というテーマで、当事者研究を開始しました。最初に、制御の方法として、「言い換え」「前置き」「語順の並べ替え」のような「吃音症状に直接働きかける制御」のほかに、「人格の制御」についての指摘があがりました。「偽りの演じたり、自己開示が低く、何かを抑圧しているときは、吃音症状が出やすい」という体験談が語られました。また、「自助組織に参加すると吃音症状が悪化する」という体験から、「吃音について考えない」というのも、吃音に対する制御の一つではないかという意見が出ました。吃音の制御の分類
その次に、「明らかに制御を行っているにもかかわらず、治す努力の否定という吃音観にシンパシーを覚える」という参加者の発言から、「抵抗感を覚える制御とそうではない制御の違いは何か?」また、「吃音の制御の分類」という話題に移りました。制御の分類として、無意識的な制御/意識的な制御という分類や、自発的制御/外発的制御という分類の提案があがりました。そして、「治す努力の否定(治さないほうがいい)」という吃音観の下では、実は、自発的制御については抵抗感を覚えないが、外発的な制御については抵抗感を感じるのではないか、という指摘がされました。その一方で、ある種の専門家(参加者からはギターの統合的アプローチはそれに近いのではないかという意見がありました)の立場では、場面回避や随伴運動のような自発的制御を「治すべき症状」として捉え、治療と称して吃音者に外発的・人為的な制御を施そうとするため、「治す努力の否定」という吃音観と、肯定的な制御と否定的な制御について立場が反転しているのではないか、という意見が出ました。また、「治す努力の否定」という吃音観は、反精神医学の立場に近いのではないかという指摘が上がりました。さらに、論理療法やメンタル・リハーサル法などを推奨する専門家の立場は、必ずしも「治さないほうがいい」という吃音観とは対立しないという指摘も出ました。多様な吃音観
「吃音観の差異」についても研究が行われました。吃音観の種類として、「治せないとあきらめている」「治らなくてもいい」「治せるのなら治したい」「治さないほうがいい」などの立場があるという指摘が出ました。そして、「治さないほうがいい」という吃音観を有している当事者から、「自分の吃音観は一種の拗らせであり、ニヒリズムのルサンチマンに近いと疑うことがある」、という体験談が語られました。そして、「自分の吃音観が拗らせなのではないかと疑い始めてから、基本的には治したいとは思っていないものの、少し吃音観が変化したような気がする」という話しも語られました。立場の異なる吃音当事者同士での対話
次に、「自分と違う吃音観を持つ吃音者との対話」というテーマに移りました。「対話や当事者研究は相手を変えようとする営みではないが、自分とは違う吃音観について意見を聞くと「押しつけ」のように感じてしまうことがある。逆に、「押しつけ」のつもりがなくても、自分の吃音観を語る際に、「他の吃音者に押し付けているのではないだろうか」と負い目を感じてしまうことがある」という体験談があがりました。
さらに、「当事者研究のように『対話』の態度を求めることも一種の『押し付け』ではないか」という指摘、「話すことに困難を覚えている吃音者同士が、対話をするのはそもそも難しく感じる」という指摘、一方、「吃音者の集まりで、対話がうまくいかない時、『吃音ゆえに話すのが苦手だから対話は難しいのだ』とあきらめるのではなく、言いたいことがあるのに言えないという吃音者がおそらく多いのであるから、吃音であることと対話の難しさとは別の問題であり、何が原因で言えないのかを解明することが吃音者の対話を実現するにあたっては重要なのではないか」などの意見があがりました。吃音当事者と非当事者との対話
最後に、吃音者内部での対話から、非当事者と吃音者との対話(非吃音者に、どうやって吃音について説明したらよいのか)について、話題が移りました。「吃音だから人の痛みがわかる」という「偏見」に対する違和感(吃音だからなのか?そもそも自分の人格なのか?鶏と卵の関係ではないか、という指摘)や「吃音者をひとくくりにしすぎ」だという指摘、「吃音について非吃音者に説明する対話の必要性とその難しさ」などが話し合われました。「吃音についてカミングアウトした吃音者に、非吃音者が「目立っていないから大丈夫だよ」と応答することは、『私、最近太り気味なの』とカミングアウトした女性に、男性が「そんなことないから大丈夫だよ」と応答するケースと、類似性を感じる」という面白い意見も出ました。参加者は3名でしたが、参加者の方がとても積極的に発言をして下さり、今まで自分がファシリテーターを行った当事者研究会の中で、一番盛り上がり、面白い会になりました。参加者の皆さん、あらためて、ありがとうございました。
次回の活動は、年明け2月頃を予定しております。日程が決まり次第、活動ブログなどでご報告させていただきます。よろしくお願いいたします。みなさん、よいお年を。